人は一人じゃ生きていけない ――物語・世界史――

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zoom RSS ローマ世界6 帝国の滅亡

<<   作成日時 : 2013/01/05 14:45  

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  さて、首都ローマでは相変わらず贅沢三昧な暮らしが続けられています。一方、帝国の国境周辺で命をかけて戦っている人々は、はるか遠くのローマでふんぞり返っている皇帝なんか当てにならず、自分たちと寝食をともにし、一緒に戦ってくれる、現場の大将のほうを当てにするようになります。
  193年、兵士たちの推薦で、アフリカ出身のセプティミウス=セウェルス帝が即位しました。この頃から、人々は今までのようなローマ中心の政治のあり方を破壊し、帝国全土を平等に見るようになってきます。
  またこの頃から、皇帝たちは自分を推薦してくれる軍人たちを特に優遇するようになるのです。このような皇帝を、「軍人皇帝」と呼びます。
  こうして200年続いた「ローマの平和」のあとに「3世紀の危機」と呼ばれる混乱の時代が訪れるのです。

  211年に即位したカラカラ帝は、帝国全土のすべての自由人男子にローマ市民権を与えました。アントニヌス勅令といいます。
  ローマ市民権を持つ人は、相続税や奴隷解放税といった、いくつかの税を払う義務があるのです。カラカラ帝は、膨らみ続ける軍事費をまかなうという目的で、帝国全土にローマ市民権を広めたのです。
  しかし相続税とか奴隷解放税って、そもそもローマ人だけに見られる風習で、イタリア半島の外ではほとんど行われていませんでした。だから、思っていたほど税収は上がりませんでした。
  加えて、それまで属州民からとっていた属州民税(十分の一税)がなくなってしまったので、かえって税収は減ってしまいます。カラカラ帝の財政政策は大失敗だったのです。
  さらに、アントニヌス勅令発布前までは、属州民がローマ市民権を得るためには、兵隊になってローマのために戦わなければなりませんでした。一定期間の兵役をこなすことで、はじめてローマ市民権を獲得できたのです。だからこそ、ローマ市民権は価値のあるものだった。それがこれからは、誰でももらえるものになってしまったことで、無理して兵隊になる必要がなくなりました。すると兵隊が絶対的に不足し始め、兵士の高齢化も進みます。こうして兵隊の質までが低下することになります。
  しょうがないから、戦っている相手のはずのゲルマン人を傭兵として雇い、なんとか兵の確保を図らなければならなくなりました。
  そして減ってしまった税収を補うため、都市に重税をかけるようになります。裕福な商人たちは高すぎる税金に嫌気がさして、みんな田舎へ引っ越してしまいました。そして田舎で巨大な農地を運営するのです。
  また都市の下層市民たちは、あまりの重税に悲鳴を上げ、都市から逃げ出してしまいます。こうして帝国の都市は次々に衰退していきました。
  とはいえアントニヌス勅令によって、帝国内でのローマ人と外国人という区別がなくなり、ローマはひとつの大きな世界帝国となったことは、評価に値することかもしれません。

  このように、3世紀になると帝国に大きな変化が起きてくるようになりました。
  外敵についても然り。北方ではゲルマン人の人口が増加し、どんどん帝国内に侵入していきます。
  帝国はあまりに大きくなりすぎていました。国境がとても長くなったので、すみずみまで監視することができなくなってきました。だから、いつの間にかゲルマン人たちが一族郎党引き連れて帝国内に移り住んでいても、ローマ側はぜんぜん気づかないなんてことも起こるようになります。
  しかも、国境を警備していた傭兵たちも、あろうことかゲルマン人だったりします。そりゃあ、警備にならないでしょうね。というわけで、ゲルマン人たちは帝国内を我が物顔で荒らしまわります。

  東方では、226年にパルティア帝国が滅んで新たにササン朝ペルシアが成立しました。
  パルティアもササン朝もどちらもイラン人の建てた国ですが、前者は遊牧騎馬系のイラン人、後者は農耕系イラン人で、文化的性質はかなり違っていたようです。
  ササン朝はイラン人の民族復古主義を掲げて、オリエントからローマの勢力を排除しようと、積極的に動き出します。
  260年、ササン朝第2代シャープール1世の侵攻に対して、ローマのウァレリアヌス帝が迎え撃ちます。エデッサの戦いといいます。しかしウァレリアヌスは一騎打ちの末捕らえられ、ついにローマに帰ることなく、異国の地で帰らぬ人となりました。
  こうして、東方でもローマは劣勢に立たされるのです。
  ちなみにこのあとシャープール1世は「イラン人および非イラン人の諸王の王」という称号を名乗ります。そしてウァレリアヌス帝が捕らえられたシーンを崖に掘り込み、巨大な記念碑にしました。
(写真はWikipediaより)
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馬に乗っているのがシャープール1世。

  帝国内の農業構造も大きく変化します。
  これまで大量の奴隷を使って運営されていたラティフンディウムですが、トラヤヌス帝以降、ローマの領土拡大は止まってしまいました。ということは、征服地からの奴隷流入も止まってしまうということです。これでは、今までのように奴隷を使い捨てにしていたら、ついには一人もいなくなってしまうことになります。
  しかたないので、重税で都市から逃げてきた下層市民を取り込み、また奴隷の地位を少し上げて、結婚や財産の所有などを認めてあげます。しかし逃げられては困るので、引越しの自由はあげません。
  こうして、奴隷や逃げてきた下層市民をコロヌス(小作人)にして土地に縛り付け、彼らから地代をとる、コロナートゥスという土地経営へと移行していくのです。
  重税を嫌って田舎に引っ越してきた有力者たちが、コロヌスを使役して大規模農業を営みます。彼らはその地域だけで自給自足の生産消費体制を築いていきました。
  都市の衰退で商業システムが立ち行かなくなってきたことも加わったので、特に帝国の西部では貨幣経済が崩壊してしまいました。なんと、物々交換の時代に逆戻りしてしまったのです。

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  さっきも出てきた軍人皇帝、235年〜284年の50年間で、正統とみなされるものだけで、26人も現れました。しかも自然死はたったの2人。これがいわゆる「軍人皇帝時代」。
  特に238年には、同時に6人の皇帝が並び立ちました。「六皇帝時代」なんて呼ばれています。
  また260年、西方のガリアでは、ゲルマニア総督だったポストゥムスがガリア帝国を建てて独立を宣言します。一時的にヒスパニアまでその勢力下におさめますが、結局274年に滅ぼされ、ローマ帝国に復帰しました。
  同じく260年、東方のササン朝との国境線を防備していたオダエナトゥスがパルミラ帝国を建てて自立します。オダエナトゥスは268年に暗殺されますが、あとを継いだ息子のウァバラトゥスは自ら「アウグストゥス」を名乗りました。でも結局、273年に滅ぼされ、ローマに復帰します。
  軍人皇帝時代は、まさにローマ分裂の危機だったのです。

  この混乱を平定したのが、284年に即位したディオクレティアヌス帝です。彼の行った政策は、
@ 都のローマを含む帝国の西部が堕落しきって荒廃してしまったので、都を東方のニコメディアに遷します。
  ニコメディアは、ヨーロッパから見てアジアへの玄関となる重要な都市。そしてその向こうには、強大なライバル、ササン朝が頑張っています。だから大本営を前線の近くに持ってくるという重要な意味もありました。
  そもそもディオクレティアヌスはイリリクム(現在のクロアチアとかボスニアあたり)の生まれ。すでにボロボロだった首都ローマにはあんまり興味がありません。そして、軍に推戴されて皇帝に即位したのがニコメディアだったので、自分の拠点に首都を移転した方がいろいろと都合がよかったのです。
A 自分とマクシミアヌスという腹心の部下を、同格の正帝(アウグストゥス)とし、それぞれが副帝(カエサル)を従え、4人で帝国を分割統治します。これをテトラルキア(四帝分治制)といいます。
  帝国はあまりに大きくなりすぎた上に、社会も混乱、外敵も容赦なく攻めてきます。帝国は、もう一人の皇帝では治めきれなくなっていたのです。
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B 自らをドミヌス(主)にしてデウス(神)といって、市民に死ぬまで忠誠を尽くすよう要求します。謁見するときには皇帝の足にキスしなければならないなど、オリエント風の皇帝崇拝を強要したのです。こうでもしないと、もう皇帝が権威を維持することができないほど、社会は変化してしまったのです。
C 皇帝崇拝を拒否したキリスト教徒に対して、最後で最大の大迫害を加えます。
  統治の形がオリエント風の専制支配になったので、これ以降を「専制君主政(ドミナートゥス)時代」と呼びます。
  ローマの帝政期は、プリンキパトゥス(元首政)とドミナートゥス(専制君主政)の2つに大きく区別されると覚えましょう。

  次の皇帝がコンスタンティヌス帝
  ディオクレティアヌス帝は、(死んだのではなく)自ら帝位を退いた稀有な皇帝でした。
  しかしその後継者候補は、テトラルキアをになった4人の正帝と副帝。結局この4人が跡目をめぐって殺しあいました。その結果、324年にコンスタンティヌス帝が天下を取ったのです。ローマ帝国は、再び一人の皇帝が支配する国に戻りました。
  コンスタンティヌス帝の行った政策は、
@ 313年ミラノ勅令を発布(東の正帝リキニウス帝との共同宣言)し、それまで迫害されていたキリスト教を公認します。とはいっても、ほかの宗教が禁止されたわけではなく、キリスト教も他の宗教と同じように、信じたければ信じてもいいよ、ということです。
  そのきっかけは、312年にライバルのマクセンティウスと戦った、ミルヴィオ橋の戦いです。現場に向かう途中、彼は太陽の中に幻影を見たといいます。XとPをあわせた記号が現れ、ギリシア語で「汝これにて勝て」という字が浮かび上がったそうです。XPはギリシア語で「キリスト(Χριστος)」と書いたときの、頭文字と二番目の文字になります。
(写真はWikipediaより)
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  コンスタンティヌス帝はこれを信じ、実際このマークを掲げたら、戦いに勝ったのです。
  この戦いの翌年、ミラノ勅令が出されたのでした。
  コンスタンティヌス帝自身は、死ぬ間際にキリスト教の洗礼を受け、信者になりました。
A 325年ニケーア公会議を開催、キリスト教の教義を一本に絞ります。詳しくは次の項で。
B 330年、都をビザンティノポリスに遷し、名前をコンスタンティノープルと改名します。
(写真はWikipediaより)
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  なぜニコメディアではいけなかったのか。ビザンティノポリスもニコメディアも、ボスポラス海峡をはさんで隣町と言ってもいいくらいの近所です。でも、ニコメディアは最大のライバルだった東の正帝リキニウス帝の本拠地だった所。それがまず気に入らなかったのかもしれません。
  もうひとつ、ビザンティノポリスは黒海とエーゲ海をむすぶボスポラス海峡に突き出た半島の先っぽにあります。そしてヨーロッパとアジアの接点でもあります。金角湾という素晴らしい天然の港も要しています。まさに交通・経済の要衝であり、軍事的にも理想的な要塞でした。
  実際、コンスタンティノープルはその後1453年オスマン帝国に占領されて東ローマ帝国が滅亡するまで、実に1000年以上も都として栄えました。いや、オスマン帝国に占領されてイスタンブルと改名した後も、1923年アンカラに遷都するまで帝国の首都として繁栄を謳歌しています。そして現在でも、首都アンカラをしのぐ、トルコ最大の都市であることに変わりはありません。
C コンスタンティノープル遷都と同じ頃、混乱していた経済を安定させるため、ソリドゥス金貨を発行します。この金貨、11世紀頃まで帝国の内外で流通しました。
  英語のSoldier(戦士)とは「ソリドゥスのために戦うもの」という意味なのです。
(写真はWikipediaより)
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金貨に刻印されている肖像はコンスタンティヌス帝。
D 税収を確保するために、コロヌスを正式に土地に縛り付け、また下層民の職業を世襲化しました。
  また官僚制を整備し、皇帝を中心とした巨大な官僚システムを構築します。
  こんな感じで、コンスタンティヌス帝はローマ帝国最後の輝きだったのです。

  392年テオドシウス帝はキリスト教以外のすべての宗教の信仰を禁止します。そして、キリスト教をローマ帝国の唯一の宗教=国教とするのです。
  現在、ヨーロッパのおよそすべての国がキリスト教国なのは、テオドシウスが他のすべての宗教を禁止したからなんです。それが現在まで続いているんだから、これは大変大きな事件だったんだね。

  395年、テオドシウス帝が死んで、帝国は二人の息子に分割相続されます。ローマ帝国は東西に分裂したのです。
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  この当時、帝国の西方は農業主体の経済だったのですが、ゲルマン人に荒らされまくり、貨幣の流通さえ滞り、物々交換の時代に戻りつつありました。一方帝国の東方は、アジアとの国際貿易も盛んに行われ、商業活動が維持され、経済的に繁栄し続けていました。
  この東西分割は、いってみれば、いらなくなった西ローマの切り捨てにほかなりません。
  そんな残念な西ローマ帝国を継いだのは弟のホノリウス。いまだ健全な東ローマ帝国を継いだのは兄のアルカディウスでした。
  東ローマの首都はコンスタンティノープル。でも西ローマの首都はローマじゃありません。北イタリアのメディオラヌム(ミラノ)に置かれました。ローマ帝国の首都がローマじゃないなんて、なんかもう終わった感が否めませんね。
  西ローマ帝国のほうは、このあともゲルマン人がどんどん侵入してきて荒らされてしまいます。
  476年、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルが、幼い西ローマ皇帝ロムルス=アウグストゥスを廃位し、ここに西ローマ帝国は滅亡します。
  これに対して東ローマ帝国は、経済も安定して、なんと1000年以上生き延びます。滅亡したのは1453年のこと。滅ぼしたのは、イスラームの大国オスマン帝国メフメト2世でした。
  ちなみに最後の東ローマ皇帝はコンスタンティヌス11世。面白いのは、ローマを建設したのが伝説のロムルスで、最初のローマ皇帝がアウグストゥスでしょ。そして最後の西ローマ皇帝がロムルス=アウグストゥス(よく知られている「ロムルス=“アウグストゥルス”」は、“小アウグストゥス”くらいの意味の通り名)だって。
  それから、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルに遷都したのがコンスタンティヌス帝。そして東ローマ最後の皇帝がコンスタンティヌス11世。そう、ローマ帝国は、最初と最後の皇帝が同じ名前なんです。

以上、ローマ帝国の滅亡でした。




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コメント(11件)

内 容 ニックネーム/日時
短い間でしたがお世話になりました!

先生の授業はとても分かりやすく、面白かったです(>_<)

次の学校でも頑張って下さい!
ありがとうございました。
2-1(10)
2013/03/18 21:14
1年ないっていう
短い間でしたが
お世話になりました!

次の学校でも
先生頑張ってください(^^♪

今まで
ありがとうございました!
2-1(3)
2013/03/18 21:26
さらば!










今までありがとうございました(笑)
2-1(4)
2013/03/18 21:30
コメント失礼します!

先生の授業はとにかく面白くて、毎回の地理の時間が楽しみになるほど大好きでした(^^)

来年度は先生の授業をうけられないのが少し残念ですが、これからも勉強頑張ります!

先生もお身体に気をつけて頑張ってください!
短い間でしたが本当にありがとうございました!!
2-1(9)
2013/03/18 21:42
先生の授業
楽しかったです(^^)

短い間でしたが
ありがとうございました!

他の学校でも
頑張ってください!
2-1(2)
2013/03/18 22:56
急にまとめてどうした?

ありがとう。
お前たちのことは死んでも忘れない。
楽しい1年だった。
またいつか、どこかで会えることを祈っている。


ブログの更新、もうちっと待っててね。
2-1の子たち
2013/03/18 23:03
私が誰だかわかるかなww?

らーめん美味いっすよね〜
うちらーめんないと生きていけないくらい好きなんすよw
今度会ったら奢ってくださいねーww

先生この界隈の国の事ってかかなり知識豊富ですよね〜(*^^*)
けっこーうち聞き入ってたんすよ♪
まぁ最後の方批判ばっかになるからそっから机にdiveしたけど^_^;

お願いだから真冬くらいは腕捲りやめてください(>_<)

今までありがとうございましたー
kyoei 2-1 No.12
2013/03/18 23:08
Mさんだね。
駅で追いかけてくれて、しっかりあいさつしてくれたこと、よく覚えてる。
仲よくしてくれてありがとう。
ラーメン、いつか一緒に食べに行こう。
kyoei 2-1 No.12さんへ
2013/03/19 08:02
先生早くローマ帝国を滅亡させてください!笑
共栄卒業してからこれだけが楽しみで日々生きています!!
史学科西洋中世史専攻の男
2014/05/24 23:40
ローマは滅亡させたさ。でもキリスト教の成立から先がねえ。
ごめん、もう少し待って!
史学科西洋中世史専攻の男 さんへ
2014/05/25 23:27
更新マダー?
なまず
2015/10/11 11:49

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