ローマ世界4 三頭政治

  マリウスもスラも死に、時代は次の世代に移ります。
  前73年剣闘士奴隷・スパルタクスの反乱が起きました。剣闘士奴隷とは、円形闘技場などで、見世物として殺しあうために訓練された特別な奴隷たちのことです。
  最初、7,80名の脱走した剣奴からはじまったのですが、捕らえに来たローマ兵に圧勝してしまいます。そりゃあ、毎日死ぬほど過酷な戦闘訓練を受けている猛者達です。当然といえば当然ですね。
  この反乱を聞いた農業奴隷や鉱山奴隷、そして下層階級の自由民までが続々と集結、あっというまに7万人に膨れ上がったといいます。スパルタクスはローマと正面きって戦おうとせず、脱走した奴隷たちを故郷に帰そうと、アルプス越えを考えていました。
  しかし、なぜかイタリア半島を南下することになってしまいました。そしてイタリアを荒らしながら南端まで到着、そこから船でシチリア島へ渡るはずだったのですが、海賊の裏切りにあって船が来ず、逆に半島南端に追いつめられる形になってしまいました。
  結局反乱は失敗に終わりました。スパルタクスも戦死し、捕らえられた6000人が、生きながら十字架刑に処せられました。その柱はアッピア街道にならべられ、朽ち果てるまで何年も置き去りにされたといいます。
  この反乱を鎮圧したのが、「ローマの半分の富を持つ男」とまでいわれた大富豪のクラッスス。しかし、反乱の残党を始末したのがスラの部下だったポンペイウスだったので、クラッススは手柄を横取りされた形になり、ポンペイウスに対してジェラシーメラメラです。
  一方のポンペイウスは、ヒスパニア(イベリア半島)の反乱鎮圧などでも活躍し、前70年にはコンスルに立候補します。
  それを見たクラッスス、あいつが出るなら俺もやる! と、コンスルに立候補し、二人同時にコンスルに当選しました。
  その後、ポンペイウスは前64年セレウコス朝シリアを滅ぼすなど、東方へ大きく領土を広げ、大活躍します。しかしこの活躍は、元老院を通さず勝手に行ったものだったので、元老院議員たちは彼を疎ましく思い始め、ポンペイウスに嫌がらせをするようになります。
  こうして元老院とポンペイウスは対立してしまいました。
  さて、ここでもう一人英雄が登場します。マリウスの甥っ子で、平民派の間で人気者、しかも軍事の天才ユリウス=カエサルです。彼は若ハゲで、大して背も高くないし、顔もハンサムとはとてもいえないような風貌(おっさん顔)でした。でも、女性にすごくもてた。話術も巧みだし、きつい冗談を言われても、軽く笑いで返してしまう。例えば、手柄を立てて凱旋式のパレードやってるとき、部下が「おいみんな、女房を隠せ。ハゲの女たらしが来るぞ!」なんて観衆に叫びます。それを聞いたカエサルは、一緒になって下品に笑っています。
  しかも本気出したらものすごく強い、加えて大金持ち。そりゃあもてるでしょうよ。
  女性だけではありません。彼は部下からも絶大な信頼を得ていました。それは彼が戦陣にいる間、ずっと部下と寝食をともにしていたからです。部下と同じものを食べ、同じ布団で寝る。部下と冗談を言い合い、たかが一兵卒の名前を全員覚えていたりする。だから部下たちは、この人のためなら死ねると、心から思うのです。

カエサルってこんな感じの人物です(写真はWikipediaより)
画像

  そんなカエサルですが、あまりの人気に閥族派の連中から嫌がらせを受けていました。そこで前60年、ポンペイウス、クラッススと密約を交わし、元老院を抑えてはじまったのが、第1回三頭政治です。
  「船頭多くして船山に登る」なんてことわざがありますが、この3人、元老院という共通の敵がいるので、最初の頃は結構うまく切りまわしていました。
  しかし前53年、欲をかいたクラッススが、準備もそこそこに東方の強国パルティアに戦いを挑み、あえなく戦死してしまいました。カルラエの戦いといいます。
  捕らえられたクラッススは、女装させられて市中を引き回されます。そのあと両手両足を縛られ、仰向けに寝かせられ、無理やり彼の大好物を口に流し込まれました。お金持ちの大好物、ドロドロに溶けた黄金を流し込まれたのです。
  こうして第1回三頭政治は崩れ去り、残ったポンペイウスとカエサルが対立を始めます。

画像


  前52年、カエサルがガリア(現在のフランスあたり)地方を平定してローマの属州に加え、カエサル自身がガリア総督になります。こうして強大な力を手に入れたカエサルに危機感を覚えた元老院とポンペイウスは、共同でカエサルを倒そうと考えます。そしてカエサルは反逆者の汚名を着せられてしまいました。
  この報を聞いたカエサルは急遽ローマへ戻ろうとしますが、国境になっているルビコン川まで来たところで立ち止まり、腕を組んで考えます。この川を渡るとき、慣習ではここで軍を解散しなければなりません。しかし解散して単身ローマに乗り込んでいけば、逮捕されてしまうのは目に見えています。さてどうしたものかと悩んでいると、カエサルの横に大きな白い鹿があらわれ、悠々と川を渡って行きました。しかしそんな鹿、部下の誰にも見えていません。
  「ああ、これは神の導きだ」と確信したカエサル、ついに決断します。「ここを渡れば人間世界の悲惨、渡らなければ我が身の破滅。進もう、神々の待つところへ。我々を侮辱した敵の待つところへ!賽は投げられたのだ」という有名な言葉を叫び、ルビコン川へ突入します。天下の大博打が始まったのです。前49年1月のことでした。
  一方ポンペイウスは、カエサルが逮捕されるのを心待ちにしながら、酒場で盛り上がっていました。「わしが足で地面をドンと踏み鳴らせば、イタリア中の軍勢がわしの元にはせ参じるわ」なんてうそぶき、「じゃあここらでひとつ、ドンと踏んでみてくれ」なんて皮肉られていました。
  でもカエサルが進軍してきたという報が入ると、さっさとイタリアから逃げ出してしまいました。言い訳は「戦う前に兵士の訓練をしなきゃ」。
  両者の激突は、ギリシア北部のファルサロス。前48年ファルサロスの戦いです。その結果、カエサル軍が勝利し、ポンペイウスは(ポンペイウスと)同盟国のエジプトへと逃亡しました。
  当時のエジプトはプトレマイオス朝プトレマイオス13世クレオパトラ7世が共同統治していました。二人は兄弟であり、同時に夫婦でもあります。覚えてますか? 古代エジプトの風習では、ファラオになるためには王家の血筋の女と結婚しなければならなかったことを。この風習はプトレマイオス朝になっても変わっていません。そしてこの時代、二人は対立しており、クレオパトラがピンチの状況でした。
  強大なローマとの関係を最優先事項として考えなければならなかったプトレマイオス13世は、昔父親を支援してくれたポンペイウスを支持していました。そんな関係があったから、ポンペイウスはエジプトへと逃げたのです。
  しかし状況は変わっていました。今やローマの天下はカエサルに移りつつあります。エジプトの宰相ポティノスはカエサルに取り入るために、上陸したポンペイウスを暗殺してしまいました。
  数日遅れてエジプトにやってきたカエサルの前に、ポンぺイウスの首級が送られます。カエサルはそれを見て、心から嫌そうな顔をしたといいます。いくら命をかけて戦った敵とはいえ、同じローマ人。カエサルは異民族に対してはむちゃくちゃ残忍で厳しく対しましたが、ローマ人なら敵にも味方にも、むちゃくちゃ甘かったのです。だからポンペイウスを殺すつもりなんか毛頭ありませんでした。
  がっかりしてふさいでいるカエサルの前に、大きなじゅうたんが運び込まれます。召使二人がじゅうたんを広げると、中から全裸のクレオパトラが出現しました。それほどの美人ではなかったといいますが、化粧の技術はお墨付き。しかも体からは、不思議ないいにおいがしたといいます。びっくりしたカエサル、そもそも女好きで通っていたくらいですから、一撃でメロメロになってしまいました。
  クレオパトラは女の武器を効果的に用い、カエサルを味方につけてプトレマイオスを抑えようとしたのです。思惑通り、カエサルはクレオパトラのとりことなり、兄弟げんかの仲裁に入ります。
  しかしプトレマイオスは自分の地位が危ういと感じたらしく、先手を打ってカエサルに攻撃を仕掛けました。これが前47年ナイルの戦い
  戦力的に圧倒的なプトレマイオス軍の前に、カエサルは大変なピンチに陥ったのですが、このとき、ローマの軍船が敵の手に渡るのを防ぐため、全部火をかけて燃やしてしまいました。そしてこの炎がアレクサンドリア大図書館に延焼してしまいます。
  前300年頃、プトレマイオス1世の命で建設された、「古代最大にして最高」の図書館。蔵書はパピルスの巻物にして70万巻を数えたといいます。そんな貴重な人類の財産が、この時灰になってしまいました。
  この話を思い出すたびに、心から残念な気持ちになります。
  さて、ナイルの戦いですが、カエサルは援軍もやってきたことでピンチを切り抜け、エジプト軍に勝利します。プトレマイオスは逃げますが、ナイル川に鎧を着たまま入り、そのまま溺れ死んでしまいました。
  その後、カエサルを後見人として、13世の弟のプトレマイオス14世とクレオパトラが結婚します。とはいえこれは形だけで、実質はカエサルの保護を受けたクレオパトラが権力の頂点にいました。
  カエサルはローマのことなどそっちのけで、クレオパトラとナイル川めぐりの旅行に出かけます。記録に残る、最古の新婚旅行(不倫なんですが)です。そして二人の間には、カエサリオンという男子が誕生しました。

  カエサルがエジプトでの兄弟げんかを調停していた頃、かつてポンペイウスが平定した黒海南岸のポントス王国が反乱を引き起こしました。
  カエサルはナイルの戦いに勝ち、クレオパトラとの新婚旅行を済ませ、十分満足した後に、ポントスの反乱を鎮圧しに向かいました。
  はたして、わずか4時間の戦いでポントス王国を滅ぼしてしまいました。これが前47年ゼラの戦い。カエサルは元老院に勝利の報告をするのですが、その手紙には「来た。見た。勝った。」とだけ記されていました。
  後にこの勝利を回想し「あのような弱い敵に勝利して多大な名誉を勝ち得たポンペイウスは、なんと幸運だっただろう」と述べています。

  ゼラの戦いの後、カエサルはローマに凱旋し、10年間の独裁官に就任します。ちょうどそのころ、クレオパトラがカエサリオンを連れてローマを訪問しました。ローマ市民はこれを熱烈に歓迎しました。
  そして前46年、カエサルは終身独裁官に就任します。死ぬまで独裁官、これ、皇帝そのものってことでしょう。
  しかしこれは、元老院を通しての共和政という、ローマの伝統を踏みにじるものでした。当然、反抗勢力が動き出すことになります。
  前44年3月15日、元老院が開催されていた、その名もポンペイウス劇場にカエサルは向かいます。その日の朝、(本当の)奥さんが、いやな夢を見たから今日は休めと、カエサルにお願いします。カエサルは一瞬休む気になったのですが、そこへ友人がやってきて「早くいきましょう、遅れますよ」と催促します。そしてうながされるまま、カエサルは議場へと向かうことになるのです。
  議場に入ろうとすると、見知らぬ人が巻物を手渡してきました。どうせいつもの陳情書だろうと、中身は見ませんでした。しかしこれが、最後の警告だったのです。
  議場に入ったとたん、数人の暗殺者に切りつけられます。カエサルは素手で防戦していたのですが、敵の中に、愛人に産ませ、とても可愛がっていたブルートゥスの姿を見つけると「我が子よ、お前もか」、そういって、抵抗をやめたそうです。カエサルの倒れた場所は、奇しくもかつてのライバル・ポンペイウスの像の足下でした。
画像



  さて、絶大な権力を手にしたカエサルの、突然の死。誰がこの遺産を受け継ぐのか。
  カエサルの第一の部下で、いつもカエサルのピンチを救ってきた(最後は近くにいながら間に合わなかったんだけど)アントニウスは、絶対に自分が後継者に選ばれると信じて疑いませんでした。しかし遺言状を開けてみたら、カエサルの養子で病弱なオクタウィアヌスだったのです。
  当然アントニウスは納得できないわけですが、ここで、カエサルの第2の部下だったレピドゥスが加わり、しばし仲良く第2回三頭政治が行われることになりました。
  しかしレピドゥスは、広大なアフリカの土地をもらって、もう満足してしまいます。加えてオクタウィアヌスの策略で最高神官にされてしまい、政治から切り離されてしまいました。

  さて、カエサルを失ったクレオパトラにとっては、まだ18歳で、人気も実力も“坊や”のオクタウィアヌスよりも、アントニウスのほうが明らかに分がいいように思えました。そこでアントニウスを毒牙にかけようと画策します。
  ある日アントニウスはクレオパトラに、反乱軍に資金援助した罪をかぶせ「裁判やるから出頭しろ」と命令します。クレオパトラは命に従いました。
  そして裁判当日、クレオパトラは船でやってきました。赤い帆を張り、船首に金箔、竜骨に銀板を張り詰め、こぎ手は全員裸同然の女性。女王自身もヴィーナスさながらの挑発的ないでたちで、金の天蓋の下に横たわり、横笛の合奏に耳を傾けていました。
  脳味噌まで筋肉でできているアントニウスは、これを見て、すでに鼻がふくふく鳴っていました。そこへクレオパトラから食事の招待状が届きます。「よし、裁判はその食事の場でやってやる」と決めたアントニウス、招待に応じました。
  食前酒を飲んでいるとき、アントニウスは女王を勢い良く責め立てていました。
  しかし食後のデザートを食べる頃には、フェニキアとキプロス、アラビアとパレスティナの広大な土地も、すっかり彼女にプレゼントすると約束していたのです。
  クレオパトラはお礼にと一夜をともにし、次の日、二人そろってエジプトに行き、ローマのことなんか放りっぱなしで愛を育むのでした。
  さすがにローマ市民もアントニウスに愛想を尽かし始めます。そこへ、神殿に預けられていた(とされる)アントニウスの遺言状が見つかります。そこには「俺が死んだらクレオパトラと一緒にエジプトのアレクサンドリアに埋めてほしい。それから俺のあとを継ぐのはクレオパトラの子供だけだ」と書いてありました。もっともこの遺言状はオクタウィアヌスが見つけてきたものなので、本物か偽者かはわかっていません。
  さすがにロー市民も激怒し、「裏切り者アントニウスを討て!」の世論が沸きあがります。
  オクタウィアヌスはローマ市民の後押しで、前31年、アントニウスにではなく、彼を骨抜きにしたクレオパトラに宣戦します。こうして始まるのがアクティウムの海戦です。
(写真はWikipedia)
画像

  戦力ではアントニウス側が勝っていたし、戦況も明らかにアントニウスの有利でした。しかし、なぜかクレオパトラは形勢不利と見たようです。そして突然、自分の艦隊を率いてとっとと逃げてしまいました。それを知ったアントニウスは、部下を置き去りにしてクレオパトラを追いかけます。残された兵士は、そんなことも知らずに数日間戦い続けました。

  年が明けて、オクタウィアヌスのもとにクレオパトラからの手紙が届きます。降伏したいとの内容でした。しかしオクタウィアヌスは「アントニウスを殺せば女王のままでいさせてやる」と返事を返します。でもクレオパトラはそうしませんでした。代わりにアントニウスに手紙を送ります。「この手紙が届くときには、私は死んでいるでしょう。でも嘆かないで。そしてどうか、ローマへお帰りください」と書いてありました。
  これを受けたアントニウスは、絶望のあまり自殺してしまいます。でも実は、まだクレオパトラは生きていたのです。こと切れる間際、部下から「クレオパトラはまだ生きている」と知らされ、ほっと安堵しながら死んでいきました。イイヤツ・・・
  窮地に立たされたクレオパトラ、残された武器は、いつもの色仕掛けだけです。またもや化粧ベタベタ、裸同然の姿で赴き、オクタウィアヌスを虜にしようとします。しかし33歳のオクタウィアヌスに対して、クレオパトラは6歳年上の39歳になっていました。もはや色仕掛けは通じなくなっていたのです。
  オクタウィアヌスはクレオパトラに「ローマ市中を引き回してやる」と告げます。さすがにこんな屈辱には耐えられず、クレオパトラは自室に戻ると、コブラに胸をかませ、自殺しました。
  こうして約300年続いたプトレマイオス朝エジプトは滅亡し、ローマの直轄領となるのです。前30年の出来事です。

  ちなみにクレオパトラがカエサルを陥れたとき、カエサルは54歳、クレオパトラは20歳でした。
  アントニウスのときは41歳と28歳。どちらもすごい年の差カップルだったんですね。

  オクタウィアヌスの勝利によって、内乱の一世紀は終わりを告げ、新たな時代が始まります。

以上、クレオパトラ・・・じゃなかった、三頭政治でした。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 5

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

この記事へのコメント

yunsik
2014年03月09日 07:06
突然のコメント申し訳ございません。
『カエサルはローマのことなどそっちのけで、クレオパトラとナイル川めぐりの旅行に出かけます。記録に残る、最古の新婚旅行(不倫なんですが)です』
この情報の参考元を教えていただきたいです。
何卒、宜しくお願い致します。
yunsikさんへ
2014年03月09日 07:27
ご指摘ありがとうございます。
相当前の話になりますが、どこかの、おそらくはTBSの番組内で、そのように紹介されていました。早稲田大学の吉村先生のコメントだったかな。
その裏付けになると思いますが、以下のURL(TBSの番組紹介)の「みどころ」で、「カエサルとクレオパトラが世界で始めて新婚旅行をしたとされるナイル川クルージング」と紹介されています。

http://www.tbs.co.jp/program/mysterysp_20090325.html

この記事へのトラックバック