ギリシア世界5 ポリスの没落

  ペルシア戦争を通じて大活躍だったアテネは、リーダー的存在として大きく頭角をあらわしてきます。そして多くのポリスを束ね、アテネを中心としたデロス同盟を結成します。デロス島に対ペルシア戦争用の軍資金を納める金庫があったのでデロス同盟と名づけられました。
  そしてこの金庫の番もアテネが担当することになりました。
  アテネの民主政を完成させたペリクレスは金庫の金を着服し、その金で有名なパルテノン神殿を完成させます。このとき、建築の指揮、特に美術監督を担ったのが、フェイディアスという人物です。
  また、ペルシア戦争中から、アテネ近郊にあるラウレイオン銀山の開発が本格化し、豊富な銀がアテネを潤します。アテネが発行するドラクマ貨は、またたく間に地中海中に広まりました。
  こうしてアテネは、黄金期を迎えるのでした。
  加えて、アテネで発達した民主政は、デロス同盟に加盟したポリスを中心に、ギリシア中に広まっていきます。

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  面白くないのはスパルタです。それまでペロポネソス同盟の盟主として、そしてギリシア最強の軍隊を有するリーダー的存在として胸を張っていたのに、今ではアテネにその座を奪われようとしています。
  戦争によってギリシアを従えることは難しいと考えたペルシアは、そんなスパルタのジェラシーをたくみに誘導し、ポリス同士を衝突させようとたくらみます。
  この計画はみごとにはまり、ついにデロス同盟とペロポネソス同盟の戦いが始まるのです。前431年のペロポネソス戦争です。この戦争、着実に広がる民主政ポリスと、伝統的な貴族政ポリスとの激突という側面も忘れてはならない部分です。
  はじめアテネの優勢で戦いは進むのですが、運悪くアテネを疫病が襲い、3年間で10万人以上の犠牲者を出してしまいます。アテネ人口の約3分の1にあたる、大変な被害でした。
  指導者のペリクレスも疫病の犠牲となり、アテネの社会は大混乱に陥ります。
  その後は、戦争好きな市民に担ぎ出された、たいした実力もない、いわゆる扇動政治家が、いたずらに戦争を長引かせる状態が続きます。これを衆愚政治(デマゴーゴス)といいます。

  そういえば最近、どこかの国でマスコミにいいように踊らされた衆愚によって、歴史的な政権交代劇を繰り広げた国がありましたね。その後その国は、大切な同盟国からの信頼を失い、急成長してきた困った隣人には領土問題でなめられ、それを見た北方の超大国までが調子に乗って領土主張を強硬化させ、経済的低迷にも無為無策。未曽有の自然災害に見舞われれば、対策は後手後手で被害を拡大させ・・・話を2500年前に戻しましょう。

  前415年には、無謀で意味のないシチリア島への遠征を行って全滅、自慢の艦隊を160隻も失うことになります。
  ここぞとばかり、多くのポリスがデロス同盟から離反します。しかもスパルタには、かつての強敵、ペルシアがついています。結局アテネは敗北し、デロス同盟は解散させられてしまいました。

  今度はスパルタが諸ポリスを支配しようとしますが、ペルシアの裏工作で、なかなかうまくいきません。
  加えて、スパルタが勝利したことで、莫大な富がスパルタに流入します。覚えていますか? スパルタがどうしてギリシア最強の力を手に入れたのか。そう、市民間に貧富な差ができないよう、金・銀貨を廃止し、鎖国までして、外国から魅力的なものが入ってこないようにして、人生のすべてを戦いにゆだねていたからなんです。
  そんなスパルタに、外国から大量の富が流れ込んできました。市民の間に貧富の差が生まれ、豊かさによって堕落する市民も現れます。今までスパルタの強さを保っていた、リュクルゴスの制が崩壊してしまったのです。この後のスパルタの弱体化はひどいものでした。

  スパルタの弱体化に反比例するかのように、テーベというポリスが急速に強くなってきます。かつてのペルシア戦争で、ペルシア側についたポリスです。
  テーベを指導したのはエパミノンダスという英雄でした。彼の活躍もあって、前371年のレウクトラの戦いでスパルタを打ち破り、一時、ギリシア最強のポリスに成り上がります。しかし、テーベの強大化を恐れたアテネやスパルタとの戦いでエパミノンダスなどの指導者を失うと、急速に勢力を後退させていきます。

  このあとも、ポリス間の抗争が耐えることはなく、市民たちの土地は荒れ、次々と没落していきます。どこのポリスも市民軍を維持できなくなってしまいました。仕方がないから、お金で兵隊を雇うようになったのです。いわゆる傭兵です。
  そもそも“ポリス”とは、そこに住む市民が自ら守るものでした。命を懸けて守るから政治にも参加できたのです。でも今では、傭兵たちがポリスを守るものになってしまった。もはやかつてのような秩序は維持できなくなってしまったのです。
  こうしてギリシアの混乱は回復できないものとなっていきます。
  そんな状態をチャンスと見ていたのが、北方に位置するマケドニアでした。前357年、マケドニア王・フィリッポス2世率いるマケドニア軍が、ギリシアへと軍を進めます。そして前338年のカイロネイアの戦いでアテネ・テーベ連合軍を破り、ついにギリシアを征服してしまいました。
  この戦いで、テーベの精鋭部隊・神聖隊が全滅しました。この部隊、男のカップルだけで構成されたものでした。愛するものが隣で戦っているから、それを互いに必死で守ろうとする。だから神聖隊はとても強かった。結局全滅してしまいましたが、彼らは愛するもの同士、かばいあうように倒れていたといいます。その光景を見たフィリッポス2世は、感動のあまり、その場で泣き崩れたといいます。

  ギリシアの諸ポリスは、マケドニアを盟主としたコリントス同盟(ヘラス同盟)を結ばされ、これにはスパルタ以外のすべてのポリスが参加しました。スパルタはかたくなに、バルバロイであるマケドニアの支配を拒否しました。そもそも、同じヘレネスのアテネがリーダーになることだって認めなかったポリスですから。
  またマケドニア側も、これからペルシアへ攻め込む計画を練っていたのですが、以前ペルシアと組んでいたスパルタがいないほうが、計画実行には都合がいいと考えていたようです。
  こうしてギリシアは外部勢力によって、やっとひとつにまとまることができたのです。

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この記事へのコメント

マオリ人
2011年06月16日 05:17
先輩、見つけちゃいました!
相変わらずのアツい地図ですね。うれしくなっちゃいました。
ここのところ更新がありませんが、お元気でしょうか?
ビールがウマすぎる季節になりました。
また飲みにいきましょう!
ひこじろう
2011年06月16日 20:36
ついに来ましたか。
ご無沙汰しております。
現在、新たな学校で地理を担当しておりまして、地形のモデル図なんかを自分で作り始めてしまいました。
今はそれで手いっぱいです。
もうすぐブログも更新できると思います。
もうちっと待っててください。

ビール浴び、ぜひぜひ誘ってください。近況報告しあいましょう。
マオリ人
2011年06月16日 21:08
おおっ!さっそくのレス、ありがとうございます。
「ついに来ましたか」が超ウケます。
また、モデル図作りとは…。そのフロンティア精神に感服いたします!やっぱり先輩は愛を創造する職人なんですね(笑)。
7月9日(土)17:00!いかがでしょうか?お店は前回同様の韓流!いかがでしょうか?
ひこじろう
2011年06月16日 23:03
持ち上げすぎです。
7月9日(土)17時ですね。
勇んで馳せ参じます。
お子様
2014年06月15日 22:32
こんにちは!見に来ました!放課後講座を受けてる学生の一人です!まださらっとしかみていないのですが分かりやすいので電車の中とかでチラチラ見たりします!
世界史楽しいですね!
お子様さんへ
2014年06月15日 23:07
来てくれてありがとう。
そうなんだよ、世界史って楽しいんだ・・・わかってくれる人がそんなに多くないのが切ないが。
放課後講座、頑張って面白くします。

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