ローマ世界1 ローマ共和政

  伝説によると、かのトロイヤ戦争を落ち延びたアエネアスという人物がイタリアにたどり着き、土地のラテン人と戦いながらも、最終的には彼らを支配していきました。
  その200年後、アエネアスの遠い子孫にあたるヌミトル王は、弟・アムリウスの策略で娘を巫女にされてしまいました。レアという名前のその娘が森の川辺で寝ていると、そこに軍神マルスがやってきて、暇つぶしに手篭めにしてしまいます。レアは妊娠し、双子の男の子を産みました。怒ったアムリウスは赤子をティベル川に流してしまいました。
  赤子たちは岸に流れ着きますが、それを見つけたメスの狼が拾い上げ、自分の子供として育てました。ある程度大きくなったところで、近所の羊飼いに発見されて保護されます。そして双子は、ロムルスレムスと名づけられました。
(写真はWikipediaより)

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  その後彼らは、王位簒奪者のアムリウスを討ちます。そして新しい町を建設することにしました。ロムルスはパラティヌスの丘を、レムスはアウェンティウスの丘を選びますが、鳥占いでパラティヌスの丘が聖域とされました。
  しかしそれを不満に思ったレムスが丘を囲む壁を壊して外に出たので、怒ったロムルスはレムスを殺してしまいました。そして新しい都ができるのですが、その町は、ロムルスの名前を取って、ローマと名づけられるのです。

  以上、ウェルギリウスという人が書いた「アエネイス」という物語です。ローマ人はこの伝説を真実として語り継いできました。
  ちなみにこのヴェルギリウス、ずっと後の時代の13世紀にイタリアで活躍した、ダンテという人が書いた「神曲」に登場します。受験知識ですが、良く聞かれるので覚えましょう。
  でもこれはあくまで伝説で、実際には、前1000年頃イタリア半島に定着したラテン人がローマを建国したらしいです。その後は、元からいた現地人のエトルリア人に支配されました。そのエトルリア人の王、7代目タルクイニウスがあまりに傲慢で横暴だったので、ラテン人によってローマから追い出されてしまいました。以後ローマの政治は貴族共和政をとることになります。

  ローマでも、ギリシアと同じく、初期の頃から貴族(パトリキ)平民(プレブス)がきっちり分かれていて、貴族が政治を独占していました。その理由も、ギリシアのときと変わりません。要するに、お金持ちで武具を買える貴族だけが、戦いでローマを守ることができたからです。
  ローマの政治の中心には、元老院がありました。定員は300人、全部貴族で構成されています。貴族の男子で、41歳以上ならOKなので、任期は終身です。ここでの決定が、ローマを動かしていくのです。
  そして元老院から選挙で選ばれるコンスル(執政官)。任期は1年で、2名選ばれます。一応、ローマのリーダーです。二人いるのは、独裁者にならないようにするため。逆に言えば、それくらいの権力を与えられていたということです。でも元老院の権威は絶大なもので、コンスルの言動は、いつも元老院に左右されていました。
  それから、戦争や飢饉、疫病の蔓延など、ローマがピンチのときに臨時で選出される独裁官(ディクタトル)。コンスルだと二人いるので、どうしても意見が対立したりして、物事がスムースに進まないときがあります。でもピンチのときだから、迅速な対応が迫られます。だから、力のある人物一人を厳選し、彼にすべてをゆだねるわけです。
  強大な権力を一人の人間に委ねるわけですから、期間も限定しなければなりません。だから、任期は半年です。
  これがローマ共和政の中核をなしていました。

  そんなローマでも、だんだん平民が力をつけてきて、平民でも重装歩兵として戦場で活躍できるようになります。ギリシアと同じですね。そしてローマでも、平民が参政権を要求するようになります。
  前494年、外敵がそこまで迫ってきている最中、重装歩兵の担い手である平民たちがストライキを起こします。「聖山事件」といいます。このままではローマを守ることができないので、貴族は平民に、平民を代表する護民官と平民会の設置を認めることにしました。護民官は、執政官と同じく2名選ばれます。彼らにはほとんどの決定に対する拒否権が与えられました。
  前451年、それまでは、法律も貴族が独占していて、勝手に法を下していました。当然平民の不満は高まります。そこで、それまでの慣習法が成文化されたのです。こうしてできたのが、十二表法です。
  貴族も平民もなく、“この罪にはこの罰”という風に、罰の重さが決定されたのです。十二表法は後にローマ法として整備されていきます。そしてローマ法は、ローマがヨーロッパやアフリカ北部などを支配していく過程で広く拡大していき、ついには万民法として定着していきます。これらの地域の法の手始めが、まさに十二表法なのでした。
  前367年、リキニウスとセクスティウスという二人の護民官によって制定された、リキニウス=セクスティウス法。内容は、
  ①執政官の一人は平民から選出されること
  ②土地の所有は一人500ユゲラ(125ha)まで
というもの。それまで貴族に独占されていたコンスルが、ついに平民にも開放されたのです。
  そしてもうひとつは土地の制限ですが、125haって、ディズニーランドとシーを足すとちょうど100haらしいので、それより広いことになります。結構なもんだよね。
  前287年、負債問題をきっかけに、平民たちがまたストライキを起こしました。このとき独裁官に任命されたのが、ホルテンシウスという人です。彼の働きで、平民会での決定が元老院の許可を得ずにそのまま国法になる、という決定がなされました。彼の名をとって、ホルテンシウス法といいます。貴族と平民が、法的に平等になったわけです。
  これをもって、約200年続いた貴族と平民の権力闘争は終了したこととします。とはいえ、これ以降も政治は、貴族と一部の大金持ちの平民が独占することに変わりはありませんでした。この部分はギリシアと大きく違うところです。

  さて、平民が権利を獲得していったのと平行して、ローマは着々と領土を広げていきました。そして前272年には、イタリア半島全土を支配します。

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  イタリアには、ローマ以外にもいくつもの都市国家があったのですが、次々とローマの軍門に下っていきます。そして征服された都市国家は、分割統治と呼ばれる方法で支配されるのです。ローマは、一つ一つの都市と個別に同盟を結びます。とはいっても、支配する側、される側という立場の上での同盟です。そして、各都市との条件に差別をつけます。「もし、もっといい条件で同盟を結びたいなら、あっちの都市よりいい働きをしてみろよ」なんて感じで尻をひっぱたきます。同盟内容に差をつけることで、逆にローマへの忠誠心をあおったのです。このような同盟を結ばされた都市を同盟市と呼びます。

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  ローマが着実に勢力を広げていけた理由の一つに「敗者の同化政策」というのがあります。
  話は伝説のロムルス時代にさかのぼります。ロムルスたちがローマをつくったとき、その構成員のほとんどは男でした。これでは結婚もできません。だから隣の丘に村を構えていたサビニ人の娘たちを祭りに招待しました。
  娘たちは楽しそうに祭りに参加しましたが、ローマの男たちは突然娘たちを拉致し、自分の家に連れて行ってしまいました。これが有名な「サビニ女の略奪」という事件。
(写真はWikipediaより)

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  ロムルスは娘たちに、ローマの男の嫁になってくれと懇願しました。そして強引に、男たちと結婚させてしまうのです。
  当然、怒ったサビニの男たちと戦いになります。しかし娘たちは、自分たちはただ嫁にされただけで、ひどい目にはあっていないから、戦いをやめるようにサビニの男たちを説得します。
  こうしてローマとサビニの男たちは仲直りしました。そしてロムルスはサビニの男たちに、ローマ人と一緒に生活しようと提案します。サビニの男たちはこれを受け入れてしまいます。
  まさに、ローマがはじめて領土を拡大した瞬間でした。
  とはいえ、ローマ人とサビニ人は、どちらも対等の関係で生活することになったので、ロムルスが死んだ後、次の王になったのはサビニ人のヌマ=ポンピリウスという人物でした。
  3代目はラテン人の王、4代目はサビニ人と、ここまではローマ人とサビニ人が交代で王を出していました。
  5代目から最後の7代目の3人の王は、移住してきたエトルリア人から立ちました。
  このように、ローマは成立当初より、戦って降参させた敵に自分たちと同じだけの地位を与え、同化してしまうという政策を採行っていました。
  というのも、成立当時のローマはただの小村でしかなく、人間自体がぜんぜん少なかったという大問題がありました。人数が少ないということは、いざ戦争となったときに兵隊も集められないということです。国防という重大な問題を解決するため、何としてでも人間を集めなければなりませんでした。
  そのために、降参させた都市の有力者にローマ人と同じ市民権を与え、元老院議員にまでしてしまいました。
  これを応用したのが「分割統治政策」です。ローマが勝って同盟市としての契約を結ぶわけですからローマ人の方が待遇は上です。しかし「努力すればお前たちでも市民権を得られるんだぜ」とえさをちらつかせ、うまく忠誠を誓わせてしまうこともできます。
  この「同化政策」こそが、ローマにイタリア半島征服を実現させた最大の武器だったのです。

  イタリア半島を制覇したら、今度は地中海の覇権を奪うため、更なる戦いを繰り広げます。

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この記事へのコメント

カレブランカ
2012年01月06日 16:59
新年おめでとうございます

ローマ帝国は意外と軍隊も少なく、税率も低かったらしいですね。その他年金など社会福祉もまあまあ充実していたといいます。思っていたよりいい国だったかもしれません。
カレブランカさん
2012年01月06日 20:03
あけましておめでとうございます。

見捨てず読んでくださり、心より感謝します。
ローマ市民と属州民では様々な待遇が違うのですが、属州民でもだいたい税収は資産の33%くらいだったと記憶しています。
社会福祉については、ローマ市民からいかに人気を集めるかが権力者たちの関心事だったので、私財を投じてサービスしていたようです。その代表例が「パンとサーカス」です。後にブログで取り上げます。
軍隊の比率については人口の2%だったかな。
どちらもうろ覚えで自信がありません。あしからず。
女子高生
2012年01月27日 23:40
あけましておめでとうございます(^_^)♪

更新されていて、とっても嬉しいです!

やっぱり、本当に分かりやすいです。
理解力のないわたしでも内容が頭の中に溶け込んで、覚えてしまえるんです。

これからも楽しみに読ませていただきます!

ちなみに、学校の授業では中国の秦についてのところまで進みました。
今日の授業で、項羽と劉邦の話を聞いたのですが、ためになりました。

中国のところも見れたらな、なんて勝手に思っています

お体に気をつけて下さい。
>女子高生さん
2012年01月28日 06:06
ご無沙汰しております。

お褒めにあずかり光栄です。
ローマ後の進路としては、インド→中国→東南アジアと進むか、
ヨーロッパ中世→大航海時代あたり→インド→中国古代と進むか迷ってます。

その前に、ローマを完成させないといけませんね。
頑張ります。
七色
2012年02月09日 14:31
はじめまして、世界史好きの一社会人として感嘆しつつ拝読しております。
特に、美麗で精細な地図は見やすく、とても理解の助けになっております。
もしご迷惑でなければ、どのようなソフトで描かれているのかご紹介頂けないでしょうか。図々しいお願いではありますが、よろしくお願いします。
>七色さん
2012年02月09日 23:51
ありがとうございます。嬉しい限りです。

地図の作成ですが、まずはPtlemyという地図作成ソフトで使いたい地形を作成します。
地形、河川、湖沼、都市の位置などを個別にEPS形式で保存し、Adobe Illusutratorで統合、加工します。
加えて、各時代の歴史地図をネットなどで検索し、いくつか参考にして作画していきます。

ただ、すべて我流で、思考錯誤の上で作ったものですので、具体的な作り方を説明することができません。
どうしたらもっときれいにできるか、どうしたらもっと楽しめるか、そんなことばっかり考えながら、作ってきました。
いうなれば、煩悩の塊みたいな地図です。

あしからず。
七色
2012年02月10日 19:29
丁寧なお返事ありがとうございます。
ご紹介頂いたトレミー、早速試用版を使ってみたところ、使い勝手が良く豊富な機能に驚きました。わたしも試行錯誤を繰り返して少しでも良いものを仕上げたいと思います。
ありがとうございました。
>七色さん
2012年02月10日 20:02
試しにいろいろ機能を使って遊んでいると、新しいアイデアが浮かんできて面白いです。
いっぱい遊んでください。
ピー
2012年05月17日 01:22
短い間だったけど授業たのしかったです!
ビーさん
2012年05月17日 17:41
こちらこそ、ありがとう。
いつかまたどこかで会える日を楽しみにしてます。

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