古代オリエント世界5 古代オリエントの統一 その1

  今まで別々の道を歩んでいた二つの文明地域、メソポタミアとエジプトが、ひとつの国にまとまります。世界初の帝国の出現です。実現したのは、アッシリアという国です。この国、結構歴史は古く、前2000年ごろ、都・アッシュールを中心に独立、以後約1400年間、発展・衰退を繰り返しながら、激動のメソポタミアを生き抜きました。

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  前722年、アッシリア王・サルゴン2世がシリア・パレスティナ連合軍を破り、ヘブライ人のイスラエル王国を滅ぼしました。このお話はヘブライ人を紹介したときにも話したよね。後のユダ王国の民だけでなく、イスラエルの人々も強制移住させられました。でも彼らはそのまま、歴史の闇に消えてしまいます。
  周辺民族が反乱をおこさないようにする政策の一つとして、強制捕囚政策があります。それを初めて組織的に、大々的に実施したのがアッシリアでした。反抗しそうな民族をバラバラにいろんなところに移住させてしまうことで、まとまった行動をとれなくしてしまうのです。
  強力な軍事力を背景に、暴力チックに人々を支配する方法を武断政治といいます。

  サルゴン2世の息子・センナケリブ王が前704年に即位すると、すぐにニネヴェに遷都します。遷都とは、首都を移動することです。だから、“アッシリア帝国の首都”といったら、ニネヴェと答えましょう。
  センナケリブ王の息子・エサルハドン王の時代、前671年には、ついにエジプトまで支配するに至ります。メソポタミアとエジプトという、お互い大きく関係しあいながらも、それぞれ独自の歴史をたどってきた地域が、今一つの支配者の下で統治されることになりました。史上初の「帝国」が誕生した瞬間でした。
  「帝国」とは、ここでは「いくつかの独自の文明を営んできた地域を支配する国」としておきましょう。もっとも、本来は「皇帝が支配する国」のことであり、「皇帝」とは「秦の始皇帝」から始まる中国大陸を支配した人のことです。
  「Empire」の訳語としての「皇帝」とするならば、「ローマ帝国の皇帝」ということになります。
  でも、世界史の教科書には、上記二つの皇帝以外が支配する国も「帝国」と呼んじゃってます。

  アッシリアがもっとも発展したのは、前7世紀前半のアッシュールバニパル王の時代です。彼は、ニネヴェに大図書館を建設しています。粘土板に書かれた楔形文字の文献が、大量に保管されていました。その数、実に25357冊。後にアッシリアが滅びたとき、この大図書館も焼失しました。でもこれが、後の僕らにとってはありがたいものだった。
  図書館に収められていた文書が、紙や木の板などに書かれていたら、全部燃えてなくなっていたわけです。でも実際は粘土板だったので、むしろ焼かれて瓦のように硬くなりました。燃えてくれたおかげで、当時のまましっかり保存されることになったのです。だからこの当時のオリエント世界のことは、結構詳しくわかるのです。

  こんなに発展したアッシリアですが、アッシュールバニパルが死ぬと、国力は急速に衰え、死後20年ほどで滅亡してしまいました。前609年のことです。
  急速な衰退の原因として大きいと考えられているのが、先の「武断政治」にあったのではないかと考えられています。アッシリアは一生懸命、支配した民族が反抗しないように頑張りましたが、バビロニアでもエジプトでも、反乱の目がなくなることはありませんでした。
  いくら力で抑えつけようとしても、どうしても限界があるのです。

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  その後オリエントには、エジプト、リディア、新バビロニア(カルデア)、メディアの4王国が並び立ちます。

  リディアは、史上初めて鋳造貨幣を使用した国です。それまでのお金といったら、金の塊とか、珍しい貝とかだったんだけど、リディアは金属を溶かし、一定の大きさに整え、王様などの模様を刻印した貨幣を鋳造しました。
(画像はWikipediaより)
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  最初は金と銀の合金・エレクトロンが使われました。当時は今と違って銀のほうが金より価値が高かった。この頃のギリシアのことわざ(?)に「沈黙は金、雄弁は銀」というのがあるけど、これは雄弁なほうが良いという意味です。今の価値観では、絶対に金のほうがいいんだけど、金は自然の状態でも、けっこう塊のまま埋まってます。だから、採集するのが比較的簡単だった。銀のほうが自然の状態で固まっているのがぜんぜん少ないので、金より価値が高かったんだ。
  当時の貨幣は、まだまだ一般の人がお買い物で使えるほど流通はしておらず、王様から家臣へ、贈り物として渡されるようなものだったみたいです。

  4王国の中で、最も強力だったのは新バビロニア。建国したナボポラッサル王は前609年にアッシリア帝国を滅ぼしました。
  また、かの有名な“バベルの塔”の建設を始めた人でもあります。でも彼の存命中は完成せず、次のネブカドネザル2世の時代に完成しました。

  ネブカドネザル2世が、前586年にヘブライ人のユダ王国を滅ぼしてバビロン捕囚を行ったことは、この前やりました。覚えてるかな? アッシリアも強制移住政策を行っていたんだけど、新バビロニアのほうが、比較的甘かったようです。というのも、アッシリアは強制連行した民族をごちゃごちゃに混ぜて、彼らの結束を弱めたけど、新バビロニアはそこまではしなかった。だからユダの人々も彼らの信仰を維持することができたんだ。
  ネブカドネザル2世といえば、イラクの元大統領で、2006年12月30日にアメリカの策略で処刑されてしまった。サダム=フセインを思い出します。
  彼は大統領になったとき「私はネブカドネザル2世の生まれ変わりだ」といっていました。要するに、ユダヤの国・イスラエルを昔のように滅ぼしてやると宣言したのです。
  だからといって、フセインをただの乱暴者の侵略者呼ばわりするのはよろしくないと思っています。なぜ彼がそんな宣言をしなければならなかったのか、それを知れば、フセインが処刑されたことの意味も理解出来ることでしょう。
  日本ではアメリカが主張していることが、すべて本当だと報道されてしまうけど、その報道が真実なのか、一般の人々にはわかりません。でも、少しでも勉強してみると、「おや? なんか変だぞ?」なんて思えてくると思います。とにかく、何か疑問に感じたら、自分で調べてみる習慣をつけるといいよ。


  話がぶっ飛んでしまいましたが、次に紹介するのが、最も領土が広かったメディア。でもこの国に関しては、一番でかかったというだけで、特に突っ込んで紹介することはありません。
  そうそう、一つあります。たぶん受験では聞かれないことですが、新バビロニアと組んで、アッシリアを滅ぼしたメディア、その勢いでリディアにも攻め込みます。リディアはこれを迎え撃ち、始まったのがハリュス川の戦いです。
  この戦い、前585年5月28日に行われました。「バビロン捕囚」の翌年です。日付まではっきり分かっている、最古の戦いです。
  ではなぜ、日付まではっきり分かるのでしょう。そう、戦いの真っ最中に、日食が起きたからなんです。真昼間なのに突然空が暗くなり、太陽が消えてしまいます。それを見た両軍の兵士は恐れおののき、戦いをやめてしまったのです。
  こうしてメディアとリディアは、ハリュス川を国境に定め、休戦しました。
  ちなみにこの日食、ギリシアのタレースという哲学者が、出現を予言していたと、ヘロドトスが残しています。タレースについては、ギリシアの項で紹介します。


  次回は、分裂していたオリエントが再び統一されます。

  以上、古代オリエントの統一 その1 でした。

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